独立開業の決意と至極の賄い料理(ほんとにおいしい賄い料理だった・・)

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32歳の美紀恵さんは人生の岐路に立っていました。

アパレル業界に長く身を置きながら、個人販売員時代、店長時代と常に優秀な成績を収めてきました。
しかしいつかバイヤーやMDになりたいという夢がなかなかおもうように実現しません。

そこでアパレルの仕事をネットビジネスに移行して独立開業しようと美紀恵さんは決意しました。
アパレル勤務は、見た目は華やかですが洋服購入など出費が多いのも現実です。

どんな方法で開業資金を貯めようか、模索しながら駅周辺を散歩していたところ「たらふく亭」という小さな懐石料理店を発見しました。
根っからのお酒好きで、晩酌をかかさない美紀恵さんの鼻がくんくんとなりました。

「この店の料理はきっとすごく美味しいに違いない…わたしにはわかる」

「たらふく亭」はそれなりの高い時給で夜の部門の仲居さんを募集していました。
賄い料理付き、という文句に美紀恵さんのハートは直撃です。 賄い料理はパラダイスに違いないのでは…こんな気の利いたたたずまいのお店であれば。

おいしい賄い料理においしい時給。

美紀恵さんはその場でお店の扉を叩き、晴れて懐石料理店の仲居さんとして採用されたのでした。
賄い料理はなんともすばらしいものでした。 美紀恵さんの予想は的中したのです。

気の利いた小鉢にその日の旬のお刺身を惜しみなくならべてくれます。 一番おいしい季節の新さんまを焼いてくれたり、はもがでてきたり、それはそれは賄い料理が夢の宴でした。
お酒を扱うお店ですから、仲居さんはホステスさんのように酔っ払いの相手をすることもけっこうあります。 至極の賄い料理とともにそれはそれで楽しく、美紀恵さんはすっかり「たらふく亭」の居心地がよくなっていました。

美紀恵さんは”開業資金を貯める”という本来の目的を忘れはじめていました。
たらふく亭に、あるひとりの男性客が訪れたことで、そんな夢の日々が終わりを告げます。

常連客でにぎわう金曜日の夜、葉山さんというひとりの男性が現れました。
実年齢の39才よりも落ち着いてみえます。 美紀恵さんにも気さくに話しかけてくれたりと、細やかな気遣いをみせる人です。

仕事はIT関連の会社を経営しており、39歳にして成功を収めていました。
会話上手の葉山さんと楽しく話をしていたのですが、そのうち非常に落ち込みました。
「仲居さんの君に、こんな話しをしてもわからないだろうけど」仕事の難しい話しをしようとしたときに葉山さんがそう言ったからです。

「職業に貴賎なし」美紀恵さんはいつもそう思っています。 美紀恵さんは”開業資金を貯める”目的と、職業に貴賎なしの誇りをもって懐石料理店で働いていたつもりでした。

しかし仲居さんというだけで仕事の難しい話しは無理と思われた…。
アパレル時代、トップセールスマンだった美紀恵さんの誇りがずたずたになりました。
お会計のときに葉山さんが実にさりげなくアメックスのブラックカードを提示したことも、さらに美紀恵さんを打ちのめしました。

賄い料理を口に運びながら美紀恵さんは思いました。
「わたしの夢はけっして仲居さんとして人気者になることではなく独立開業すること」
そして「ある程度の年齢になってサービス業に身をおく時には、こんなやりきれない場面があることも覚悟しなけらばならない…」
賄い料理を食べ終わるとたらふく亭を辞めることを決意しました。
働き心地が良すぎて目的を見失っていることに美紀恵さんは気づいたのです。

たらふく亭から家路に向かうほろ酔い気分の中で美紀恵さんはつぶやきました。
「それにしてもほんとにおいしい賄い料理だったなあ…特におさしみが…」
仕事で成功した暁には、ぜひお客様としてお店のカウンターでおさしみを注文してほしいものです。

いつか独立しよう、将来起業するんだ。
そう夢を見たことがある人は大変多いことでしょう。
ただ、この「いつか」とか「将来」という言葉に甘んじていつのまにかそんな夢を心のどこかにしまいこみます。
そして多くの人はそのまま日の目を見ることはありません。
でも、ほんの少しの意識で、実際に行動を起こしたものにだけチャンスが訪れます。

今そのときはどんどん過ぎていきます。
「いつか」ではなく夢に向けて「今」出来ることが本当にないのか考え行動を起こす。
出来ない理由を考えるより、どうしたら出来るのかを考える。
以前とは違い現在では国や県、市の起業家向け支援制度などもあるので、しっかりプランを練れば実は独立開業しやすい環境にあることに残念ながらほとんどの人は気づいていません。