市営バスとバドミントン

オンライン小説

市営バスの運転手をしている沖本さんは48歳です。
彼は「オグシオ」人気のはるか昔から、バドミントン競技の愛好者でもあります。

20代、神奈川の某市役所の実業団で、シングルスプレイヤーとして活躍していた時期もありました。
さすがに寄る年波には勝てず、30歳を過ぎたころ実業団を引退しました。
市営バスの運転手として現在働きながら、バドミントンライフを趣味として続けています。

「神奈川県シニアバドミントン大会」が2か月後に催されることになりました。
出場資格40歳以上、当時の沖本さんの実業団時代のライバルたちが、シニアとなって続々出場します。

「あの当時の熱い戦いを、時を越えてもう一度!」

市営バスの勤務が入っていますが、沖本さんはどうしてもこの大会に出場したくてたまりません。

沖本さんは、同僚の笹井さんに勤務シフトの交替を無理やり頼みこみました。
市営バスの勤務はなかなか土日の休みがとれませんから、家族のある笹井さんにとって大会の日は貴重な日曜休みです。
しかし笹井さんは沖本さんの熱意を汲んで、勤務シフトを交替してくれました。

2か月後、神奈川県シニアバドミントン大会が開催されました。
沖本さんは48歳ながらもシングルスという過酷な種目で出場しました。

往年の動きを彷彿とさせる輝きを放ち、沖本さんは40歳以上の県シニア大会で見事勝ち抜き準優勝を飾ったのです。

準優勝の賞状を手に、沖本さんは試合会場を後にしました。
外はすっかり暗く、空には星が瞬いています。

携帯電話を取り出すと、市営バスの事務所から着信履歴がはいっていました。
休日にいったい事務所から何の用事だろうとリダイヤルしたところ…。

沖本さんにとってびっくりする話の内容を聞かされることになります、それは…。

市営バスの運転を、本日、沖本さんは笹井さんに交替してもらっていました。
笹井さんは沖本さんに替わって運転ダイヤを順調にこなしていたそうです。

夕刻、市営バスは歩道橋の下に差し掛かりました。
笹井さんの運転するバスが歩道橋を通過するその瞬間”どこんっ”という音とともにバスの屋根に衝撃が走りました。

バスの乗客全員がざわめきました。
笹井さんはあわててブレーキを踏みます。

…中年の男性が歩道橋から飛び降り自殺を図ったのです…。

しかも、ブレーキを踏んだバスの前輪タイヤに飛び降りた男性の体が巻き込まれてしまいました。
とても残念ですが、その場で即死だったそうです。

市営バスからの電話を切り終わると、沖本さんはその場に呆然と立ち尽くしました。

準優勝の喜びはどこかに消えてしまいました。
本来ならば沖本さんが運転するはずのバスだったのです。

笹井さんに申し訳ない気持ちでいっぱいで言葉がみつかりません。

当然といえば当然ですが、笹井さんには心のトラウマが残り、それから1か月以上市営バスのハンドルをにぎることができなかったそうです。
…人生にこんなことは滅多に起きません、しかしこんなことが起こりうるのもまた人生です…。

今では笹井さんも平常心を取り戻し、市営バスの運転手として復活しています。
沖本さんも、あいかわらずバドミントンライフを満喫しています。