酒飲み仲間になれたら : MIHARUアラウンド(乾杯!)

酒飲み仲間になれたら

『金魚』の重い鉄の扉をあけた。

岡マネージャーはさぞがっかりしていることだろう…。
ためらいながら美春は席へと足を運ぶ。

カウンターの端で飲んでいる岡の姿を目で確認すると「お疲れさまです」そう一言、美春はとなりのスツールに腰をおろした。

美春の気配に気づいて岡は一旦グラスをカウンターに戻す。
そして美春を一瞥した。
「ありえないぞおまえ」
社交辞令の挨拶もすっとばし、いきなり岡はそう言い放つ。
「そうですね、ありえないですね…」
美春は体が凝固した。

退職すればふたりは上司と部下ではなくなってしまう、飲みに行く回数もぐんと減るだろう。
いや、もしかしたらふたりで飲むのは今日が最後の日になるかもしれない。
自分の目的があるとはいえ、結果として私は岡マネージャーを裏切った。
長年目をかけてもらったにもかかわらずだ。

美春は岡とふたりで飲む酒が楽しくて好きだった。
でも今日に限ってはまずい酒になりそうだ。

「新しく就こうとしてる仕事はそんなに魅力的なのか?」
岡は素朴に聞いてきた。
「ええっまあ…はい」
戸惑いながら美春は返事をする。
「そうか、そんなに魅力的なのか」
退職を選んだ自分を責めるだけの酒になるだろうと身構えてやってきた美春だった。

しかし、どうも様子が違うようだ。

長く接客業を生業としてきた美春には、他人の表情や、言葉のトーンに敏感に反応する癖がある。
今の岡のセリフ回しから苛立ちは読み取れない。
それどころか、本当に素直に素朴に、美春の次の仕事に興味を抱いている節すらあった。

「昨日の今日でおまえになにがあったのか、おれにはさっぱりわからん」
「せっかくの昇格を棒にふってまで、新しい仕事に就くことになった経緯をとにかく聞かせてくれ」
”まあその前に飲め飲め”そう言いながら岡は美春の空のグラスに白ワインをなみなみと注ぐ。

突然の退職の意思表示にショックも受けただろうし、頭にもきたことだろう。
なのに…『何があってもまずは酒』こんなところが本当に岡の九州男児らしいところだった。

― 岡マネージャーいい年してなんか子供みたい ―
美春は思わず心の中でくすっと笑ってしまう。

やっぱり岡はいい上司だ。
上司と部下ではなくなっても酒飲み仲間になれたらいいのに。
内心そんなことを思いながらも、会社を辞めるに至るまでの顛末を美春は語りだした。