草むらのベンチで乾杯 : MIHARUアラウンド(乾杯!)

草むらのベンチで乾杯

「ところで引っ越しの荷造りは順調?」
麻生は心配そうに引っ越し準備の進行状況を確認してきた。
言葉とともに吐く息が、寒さのあまり空気中で白くなる。
「…順調じゃありません…、せっかくの酔いがさめるからその話題はパス!」
そうだふたりはこれから生活を共にするのだ。
返事をする美春の息も麻生同様に空気中で白くなった。

ほどなくして草むらのベンチに到着した。

9月のあの日、草むらに覆われていたベンチだったが今はさすがに真冬だ。
雑草は跡形もなく影を潜め、広場にはただシンプルにベンチが横たわっている。
白い息を吐きながら美春と麻生はベンチに腰掛けた。
冬空の下のベンチの冷たさが、衣服を通してもひんやりと伝わってくる。

エコバッグから缶ビールを2本取り出して、美春と麻生は再度乾杯をした。

「2回目のお祝いの言葉です、30歳の誕生日おめでとう」
はじめて出会った時と変わらない、細くてたれ目になる麻生の優しい笑顔。
この笑顔がそばにある限り、わたしはどんなことでも頑張っていける、そんな気がする。

”響ナツコさんのもとで、30代の人生を全力で駆け抜けよう、もっと人として成長しよう”

突然ぱらぱらと雨が降り出してきた。
「ええっ今日もまた雨!?これホントに偶然!?」
草むらのベンチでの度重なる”雨の偶然”にさすがに美春が驚嘆の声を上げた。
「おれが雨男か美春ちゃんが雨女、それだけは間違いないな、まあこれも何かの縁でしょう」
『縁』という言葉を麻生は大事な宝物のように発音する。

ふたりは雨に濡れるのも構わずベンチに座り、気のむくまま空を見つめていた。
雨がぱしぱしと頬をなでる。
たくさんの喜びも、さまざまな悲しみも、すべて雨が洗い流してゆく。

美春と麻生、出会いの原点のこの場所に今ふたりで存在している。
ふたりは目と目を合わせて笑いあった。

― すべては9月の雨が呼んだ偶然。
美春と麻生、ふたりが紡ぐ人生は、今この瞬間、この場所から始まっていく ―


                         MIHARUアラウンド   完