大型冷蔵庫と2本のビール缶 : MIHARUアラウンド(転換期)

大型冷蔵庫と2本のビール缶

約束の6時をちょっと過ぎて、美春は麻生のマンションのインターフォンを押した。

「鍵は開いてるから勝手にあがっていいよ」
そんな麻生のセリフひとつひとつに、他人ではなくなっていくふたりの距離を美春は実感していく。
雨の日の9月の草むらのベンチのあの日、麻生がいきなり話しかけてきて…。
束の間、美春の記憶が過去を辿る。

「休みの日にもかかわらず、お仕事お疲れさまー」
美春はそうひと言、食料品の入った袋をテーブルの上に置いた。
「美春ちゃんの手料理を食えば疲れも吹き飛ぶ」
先ほどまではスーツ姿だったのだろう。
部屋に暖房が効いているので麻生は半そでTシャツ姿でリラックスしていた。
「響ナツコの個展はどうだった?」麻生が聞いてくる。

”相談はなに?”そんな風にいきなり切り出さないのも麻生の良さだ。
こちらから切り出さない限り、麻生は最後までそんな質問を投げかけることはないだろう。

「そりゃあもう素敵だったよー!その話しをさせると延々と語れるから後ほどね」
「まずは料理…っと!」
美春は袋から食料品を取り出した。
水菜とベーコンのサラダにサーモンのカルパッチョ、ハンバーグ、あとは適当にパスタで締めるつもりだった。

あまり料理をしない男性のひとり暮らしには珍しく、麻生は3ドアの大型冷蔵庫を使用していた。
前妻と離婚する以前の生活の名残りが、こんな些細な日常の断片から垣間見える。

『ほんとうの意味で人を愛せるか、彼を愛せるか、結局すべてはふたりの相性の問題ということになる』

9月のあの日の麻生の言葉がリフレインする。
美春には計り知れない麻生の人生があり、彼自身がひとつの決断を下し今があるのだろう。
特に心は痛まないし動揺もしない。
今美春が麻生の隣にいる、ただそれだけ。
冷蔵庫のドアを美春は勢いよく開けた。

ほとんど食材が見当たらない、ひとり暮らしの男性の冷蔵庫。
ウスターソースやマヨネーズ、醤油やわさびなどわかりやすい調味料が点在するのみで、ほとんど飲料水が独占している。
特にビール…。
冷蔵庫にはビール缶がぎっしりと詰まっていた。
そのうち2本を取り出して、1本を、ソファーに座る麻生の目の前に置く。

小気味よいプルトップをあける音とともに「かんぱーい」とふたりはビールを飲んだ。

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