会社員の背負う宿命。転勤 : MIHARUアラウンド(転換期)

会社員の背負う宿命。転勤

カモ鍋を箸でつつきながら麻生は美春へ視線をむけた。
「ん?なに?」食べ物をほうばるほっぺたが、のんきにもぐもぐと動いている。

「健史のことなんだけど、この前きちんと別れたから」
美春はそう簡単に告げるとヒレ酒に再度口をつけた。
麻生の箸がしばらく止まった。
「そうか、わかった」
そのひとことだけで麻生はまたカモ鍋をつつきはじめた。
麻生のさっぱりしたリアクションに美春はいささか拍子抜けした。
反面、物事をおおげさにしない麻生のこんな性格がやはり好きだなあ、とも思った。
「健史、来月福岡に転勤するんだって」
さすがに麻生も驚いた。
「へえずいぶん急だな、まあ転勤なんてだいたい急なものだけど」
健史の転勤の話で美春はふと疑問が浮かんだ。
「麻生さんの会社も、もしかしたら転勤ってあるの?」
麻生は、鍋から美春のほうに顔をあげた。
「おれはシステムエンジニアだから九州とか北海道とか遠方の転勤はないと思うけど」
「大阪や名古屋は会社の状況しだいで可能性があるかもね」
「ふーんそうなんだ」
美春は平静を装ったが内心すごく不安だった。

麻生もいつか転勤する可能性があるんだ…。
”その時麻生さんわたしのことどうするつもりなんだろう”
頭に浮かんだ言葉は口に出さなかった。
麻生がいなくなるなんて、今の美春には、さびしく受け入れが難い現実だった。
でも万が一、麻生の転勤が決まったら、わたしはいったいどうするんだろう?
いいや、そんな事を考えるのはやめよう、ふたりはまだ付き合い始めたばかりだし。
まずは”今”を過ごしていけばいい、全ては”今”大切を過ごす延長上に生まれることだから。

美春は気を取り直してカモ鍋に箸をつけた。
土鍋の中に、カモ肉や野菜からいい具合のだしが滲み出て、具材どうしがハーモニーしている。
最後は卵を落とした雑炊、それともうどんで締めるかふたりはさんざん悩み、結局雑炊で締めることに決めた。
あつあつの鍋の中でふわっと広がる溶き卵の光景はとても食欲をそそる。

締めの雑炊に舌鼓を打ちながら、日本ビーズアーティスト展覧会で出会った『響ナツコ』に美春は思いを馳せた。
その出会いの衝撃の余韻にひたりながら、週末の日曜日の夜は静かに更けていった。

BACK HOME  NEXT