もうあんたとは今日で終わり! : MIHARUアラウンド

もうあんたとは今日で終わり!

財布から一万円札を抜き取ると、”バンっ”と健史の前に叩きつけた。
「もうあんたとは今日で終わり!あんたみたいに自分勝手で空気読めない男なんかいらない!わたし帰る!」
内心”まずい”と思ったが、口が勝手に動くのだから仕方ない。
美春は一目散に『麒麟屋』の玄関口に向かった。
靴箱ひとつひとつに”あかさたな”の五十音がふられている。
わたしの靴箱はたしか”た”のはずだ…、美春は”た”の靴箱から赤いバレエシューズを取り出した。
バレエシューズを履き終わると力まかせにお店の扉をあけた。

麒麟屋の扉をあけると叩きつけるような雨が降っていた。

店の軒先にからまる蔦から”ぽたぽたぽたっ”と雫がこぼれて美春の洋服を濡らしている。
軒先に立ちながら、美春は店の中にいる健史が出てきてくれるのを待っていた。
「先に怒ってしまったのはわたしだけど、女性の気持ちを理解してほしい、できれば飛び出したわたしを追いかけきてほしい」
美春は祈るように手を組んで、健史が追いかけてくるのをじっと待った。
ほんとにほんとに最後の賭けだった。

「もし追いかけてくれたならわたしも自分の悪いところを徹底して見つめよう、健史とやり直そう」
雨足は休まることなく、蔦からこぼれる雫は美春の洋服をさらにぐっしょりと濡らしていた。
健史は追いかけてこない…。
腕時計をみると9時13分、麒麟屋を飛び出してすでに10分が経過している。

美春はあきらめてとぼとぼと歩きだした。
脱力感のあまり傘をさす気もおきなかった。
一人暮らしのアパートまで幸い歩けば20分程度だ。
雨に濡れながら帰ろう、雨の水滴が頭を冷やしてくれるだろう、涙を流しても雨が隠してくれるだろう。
ずぶぬれになりながら美春は歩いた。
時折会社帰りの男女にすれ違うが、ちらちらとすれ違いざま美春を盗みみるものの、傘を差し出してくれる人はいなかった。
いい年齢の女が雨の中傘もささずふらふらと歩いているのだ、ただごとではないと察しがつくのだろう。

叩きつける雨はやがて霧雨へと変わっていった。
霧雨のミスト状の粒子が街灯に絡みつき、幻想的な柔らかい光りを放っている。

美春の心の中で先ほどから怒りと脱力感が交錯している。
まっすぐに自分の部屋に戻る気持ちにはとてもなれそうにない。
自分の部屋に戻ってしまえば煩雑な日常という”リアリティ”が待ち受けている。
”非日常”の中で自分という存在や自分の気持ち、"今この瞬間"の感覚を突き詰めたい思いに駆られた。
セブンイレブンでお酒を買って、アパート周辺の草むらのベンチで飲むことに決めた。
今年30歳を迎える美春だが、バーでひとりで飲むのはなんとなくためらわれたのだ。

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